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尖閣諸島とは

尖閣諸島

尖閣諸島は東シナ海に点在する島嶼群で、魚釣島(うおつりしま)、南小島(みなみこじま)、北小島(きたこじま)、久場島(くばしま)、大正島(たいしょうとう)、沖ノ北岩(おきのきたいわ)、沖ノ南岩(おきのみなみいわ)、飛瀬(とびせ)などからなる島々の総称です。

尖閣諸島の行政区域は沖縄県石垣市で、最も大きな魚釣島は石垣島の北西約170kmに位置します。

尖閣諸島は、1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い、単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国を含むいずれの国の支配も及んでいない土地(無主地)であることを慎重に確認した上で、1895年(明治28年)1月14日に閣議決定を行い、正式に日本の領土に編入しました。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

尖閣諸島は、八重山地方(沖縄県石垣市、竹富町、与那国町)では昔から「イーグン・クバジマ」と呼ばれ、周辺海域は良好な漁場として漁師たちに知られてきた他、明治時代から昭和初期にかけては羽毛採取や鰹節の製造などの事業が営まれ、事業最盛期には、99戸、248人が魚釣島や久場島などで生活しておりました。

尖閣諸島の名称は、沖縄県師範学校博物農業教師の黒岩恒(くろいわひさし)氏によって命名されました。これは、北小島や南小島などの島の形が尖っていることが由来となっています。明治33年、黒岩恒氏は魚釣島などに上陸し、火山性の島で岩盤がむき出しになっていると地質図を描き残しています。